新潮45問題で考えた「言論の自由」と「思想の自由」の違い

空を飛ぶカモメ ぽこ考えた
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「新潮45」の休刊という形で終結した、新潮45問題。

世間の注目を浴びた騒動は収束しつつありますが、今回、一連の報道を見ながら、考えさせられたこともありました。

自分が考えたことを忘れないように、メモとして残しておこうと思います。

私は「新潮45」を読んでいないので、書かれた内容に関しては語りません。あくまで、この問題を外から見て感じたことです。

「自由」は一般的にどこまで許される?

ハリネズミちゃん

私が好きな言葉のひとつが、こちら。

自由を、さもなくば死を

アメリカ独立戦争や、フランス革命でスローガンとされた言葉で、「自由でない人生なら、そんな人生はいらない」というニュアンスで、私は受け止めています。

ぽこ
ぽこ

独立・革命の時に使われた言葉なので、「自由でない社会で生きていても仕方がない」というニュアンスの方が、もともとは強かったかもしれません。

このブログでも、「自由な人生」はテーマのひとつです。

今回の新潮45問題では、この「自由」についていろいろ考えさせられました。

「自由」は、現代人はあまり意識もしないくらい、普通に持っている人権です。

私も大好きな「自由」ですが、「自由」が「身勝手」や「自己チュー」と違って尊いのは、無制限に主張できるものではないところにあります。

自分が自由であるためには、他者の自由も認めなければならないのは大原則。そのため、他者を傷つける自由は認められません

ぽこ
ぽこ

応用倫理学の第一人者・加藤尚武さんの本に出てくる「他者危害の原則」というやつですね。大学時代に読みました。懐かしいなあ。

言論の自由と思想の自由は違う

本

さて、ぶっちゃけた言い方をすると、

他人に迷惑かけない限りは自分が正しいと思うことはやってもいいじゃん!

というのが「自由」ですが、今回の問題に関して、「言論の自由」と「思想の自由」がごっちゃに語られていると感じたこともありました。

「言論(表現)の自由」と、「思想(良心)の自由」は、どちらも憲法で定められている日本国民の権利ですが、自由度は、普通に考えると、思想の自由>言論の自由でしょう

中島みゆきの歌で「この世で二人だけ」という歌があり、叶わぬ恋をしている女性が

片思いしている男性とこの世で二人きりになったら、ライバルはゼロだし、さすがに愛してもらえるかも…

という内容を歌います。

実際の歌詞はこうです。

二人だけこの世に残し死に絶えてしまえばいいと心ならずも願ってしまう

この女性は、「みんな死んでしまえばいいのに」と心の中で思っているだけなので、誰にも責められません。思想の自由は、皆殺し思想ですら、思うだけなら自由なのです。

ですが、これを口に出してしまうと、ちょっと問題ですよね。周囲の人たちから「え?ちょっとあんまりじゃない?」と、非難を浴びます。

これが、思想の自由の方が、言論の自由より自由度が高いということです。

余談ですが、「行動の自由」は、「言論の自由」よりもさらに強い制限がありますね。自由が度を超した場合、言論は社会的制裁を受けるだけであっても、行動は法的制裁を受けます。

今回の新潮45の記事を責めた人は、他者危害原則を満たしていない(=他人を傷つける)言論の自由は認められないと考えた人だと思います。

逆に擁護した人は、思想の自由は認められるべきだと反論していて、両者の議論が噛み合ってないように感じた場面がありました。

新潮社の本を撤去した本屋は言論の自由を侵害したか?

本屋さん

さて、今回の騒動の中、新潮45の発行元である新潮社の本を、店頭からすべて撤去した本屋さんが話題になりました。

この本屋さんの行動を、「言論・表現の自由を侵害している」と批判する声がありました。

私は自分が本屋さんだったら、新潮社の本を全部撤去することはしません。ですが、この本屋さんの行動自体は、「言論・表現の自由の侵害」には当たらないと思います。

この本屋さんが国立書店とかだったら別ですが、お店は、自分の売りたいものを売る権利がありますよね。

コミック専門店が、小説を置いていないからといって、それを責める人はいないでしょう。

新潮社の本を置きたくない本屋さんが置かないのは、商売の自由であり、これこそ「思想の自由」です。

新潮45の執筆者さんたちが、言いたいことを紙に書いて売ること(=言論の自由)を、妨げたわけではなく、単に後押ししなかっただけなので、これは普通にアリだと思います。

ぽこ
ぽこ

言論の自由に思想の自由で対抗した、という形だと思います。こういう自由どうしのせめぎあいは、よりよい社会が作り上げられるために、あってよい議論だと私は思います。

どんな自由人でありたいか

羊ちゃん

ちょっととりとめもないことを書いてしまいましたが、今回の一連の騒動は、普段まじまじと考えることがない「自由」を見つめ直す機会となりました。

先ほど、「思想の自由は自由度が高い」と書きました。

たしかに、心の中はかなりの自由が認められる世界です。心の中はパスカルが言うように、宇宙ほど広くて何でもアリの世界です。

ですが、そんな誰にも責められない「思想の自由」にも、一人だけ監視人がいますね。

ハイ、そうです。自分自身です。

私は不十分で未熟な人間で、顔ではニコニコ笑っていても、心の中は他人に見せられないようなことを考えていることもあります。

それは「思想の自由」だと今までは思っていましたが、もし、自分が人間としてもっと成長するなら、心の中も無法地帯にしてはいけないんだろうな、とちょっと考えました。

私には、まだその境地に到達するだけの、人間としての器はありませんが、遠い目標として、持っててもいいのかな…。

ぽこ
ぽこ

今の私に言えるのは、ここまでが限界です~

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