中島みゆきさんの楽曲「君の昔を」の歌詞について、考察してみました!
「君の昔を」はどんな楽曲?
「君の昔を」は、1990年に発売された中島みゆきさんのアルバム「夜を往け」の6曲目に収録されている楽曲です。
1990年といえば、まだカセットテープもあった時代。
カセットテープで聴くと、B面にひっくり返して、最初に流れてくるのが「君の昔を」でした。
「夜を往け」は力強いサウンドが特徴的なアルバムで、代表曲といえば「あした」や「with」です。
「君の昔を」は淡々とした曲調で、「夜を往け」のアルバムの中では地味といってよい楽曲です。
大きく盛り上がることもなく、中島みゆきさんも特に感情を高ぶらせて歌うこともなく、本当に地味な楽曲なのですが…個人的にこの歌、大好きなんですよね~。
中島みゆきさんのベスト盤などに入るような楽曲ではなく、有名でもない歌ですが、私のようなひそかなファンは結構いるのではないでしょうか。
「君の昔を」に歌われているテーマは?
「君の昔を」に歌われているテーマは、わかりやすくてシンプルです。
戻れるものなら戻りたいですか
必ずそらす話が きまってあるよね
今も誰かと比べてるみたい
「君」は過去にとらわれています。
「私」は「君」が過去をひきずっていることをわかっていて、いつも自分が昔の誰かと比べられているような気がしています。
「私」は「君の昔」について、知りたい、理解したい、分かちあいたい…と思っていますが、「君」は、過去について決して語ってはくれません。
君の昔を誰にもらおう 言葉途切れるこの夕暮れに
君はうなじを頑なにして 過ぎた景色に戸を閉ざす
うーん、ここの表現は本当に秀逸ですよね~。
「うなじを頑なに」って…後ろ姿ですら何ひとつ語ってくれない「君」の、過去に対するガードが非常に固いことがよくわかる表現です。
人は過去と戦っても勝てない…
「君の昔を」のサビ部分は、サビと思えないほど淡々としています。
妬んでいる 君と会って君を去った古い仲間を
妬んでいる 君を愛し君を去った古い女を
妬んでいる
淡々とした曲調で、何度も「妬んでいる」と歌います。
妬んでいる相手は、「君」の昔の仲間と、昔の恋人。「君を去った」とあるように、今は「君」の近くにはいない人々です。
「君」の心は常に昔の仲間や恋人のもとにあって、今「君」の近くにいる「私」には心を開いてくれない。
そんな「私」は、「君」の心を占めている昔の仲間や恋人がうらやましい。
しかし目の前にいるわけではない過去の人々と戦っても、勝つことは難しいです。
そこで「私」は、「君」の昔と戦うことを諦めて、「君」のもとを去ることを決意するのです。
サヨナラ私は 今日という日だって
悪くはないよって言いたかっただけだよ
ここのフレーズ…私は妙に心をくすぐられますね。「今日という日だって悪くはない」。
華やかな過去、逆にツライ過去…どちらにしても、過去にとらわている人生を生きていても、ふと考えてみると、今生きているこの瞬間はそれほど悪いものでもない。
ささやかだけどこんなシンプルなことに気づけば、過去を生きている人生は、ようやく今を生きられるようになるのではないか。
「君の昔」はどんな昔なのか?
さて、「君」がとらわれている「昔」は、華やかな過去なのでしょうか?それともツライ過去なのでしょうか。
この楽曲内の歌詞には、「君の昔」に対するプラスのイメージと、マイナスのイメージ、どちらも歌われます。
まずプラスのイメージは…
君の昔は君に優しい 他人を寄せずに君に優しい
「君の昔は君に優しい」…要するに、「君」は昔を思い出すと、幸せな気持ちになるのでしょう。
「他人を寄せずに」という表現には、「君」が昔の思い出に浸ることを誰にも邪魔させないという姿勢が見て取れます。
マイナスのイメージの方は…
過ぎた景色に戸を閉ざす
この表現は、「必ずそらす話がきまってある」という部分と合わせると、「他人に昔のことを話さない」という意味に解釈できます。
ですが「戸を閉ざす」という表現からは、自分もある程度、過去から身を引いている心理状態が感じられます。
サビの歌詞にあるように、昔の仲間や恋人は「君」から自発的に去ってしまっているわけですから、華やかではあるけれど終わり方は良くなった過去…と考えるのが妥当ではないでしょうか。
また、この部分の表現も気になりますね。
君の隣は夢でふさがり 風は私の上に吹く
「君」の隣にいたい「私」ですが、「君」の隣というポジションは、夢=目にみえない何か…おそらく昔の人々や出来事…でふさがっていて、「私」が入り込む隙がない。
「夢」に対比され、私の上に吹いている「風」は、むなしい夢のぬけがらのようなもの…「君」が「私」と対峙するときは、どこか上の空のような感じなのでしょう。
中島みゆきさんが歌詞の中で使う「夢」ですが、「世情」や「ローリング」など、学生運動を扱ったと思われる楽曲によく登場します。
そのことを踏まえると、「君」は学生運動に身をおいていたことがあり、その時代の仲間や恋人や夢にまだとらわれている…という解釈もできるかもしれません。
何度も出てくる「君」に対する「私」の希薄さ
「君の昔を」は淡々とした地味で暗い楽曲ではあるのですが、どこか惹きつけられる歌です。
その理由のひとつが、歌詞の中で「君」という単語がしつこく出てくることではないかと思います。
Aメロはすべて「君」という歌詞で始まりますし、サビの部分でも「君と会って君を去った」と、「君」がしつこく繰り返されます。
この「君」の頻発に、歌い手の「君」に対する並々ではないこだわりが感じられます。
淡々とした曲調とはうらはらに、「私」は「君」にかなり執心なのではないでしょうか。
そして、歌詞の中に「私」は二度しか登場しません。
しかも2番からしか出てこないので、聴き手は「あ…『私』もいるんだ…」と思うくらい、「私」の存在感は希薄です。
「君」への執心と「私」の希薄さ。
「君」が昔に執着しているように、「私」は「君」に執着しているのではないか…。
よく心理学の本などの名言で「過去と他人は変えられない。変えられるのは未来と自分」というのを見ますが、「君の昔を」は、自分ではどうしようもない過去と他人に執着する歌なんですよね。
自分の力を超えた何かに執着するのは人生のノウハウとしては正しくないのでしょうが、人生のエネルギーを愚かなことに使ってしまうことは、どこか文学的でせつなく、理屈では言い表せない魅力が少しはあるのかなと思います。
まとめ
中島みゆきさんの「君の昔を」の歌詞についての考察でした。
どちらかというと「脇役」に近い楽曲だと思いますが、こういった静かな歌でもしっかり聴かせるのが、中島みゆきさんの稀有な才能だな~と感じます。