嵐山から嵯峨へ歩く途中に落柿舎がありました。
入場する予定はなかったのですが、かわいらしい藁ぶき屋根に惹かれてつい入ってしまうと…俳句を詠む羽目になってしまった…という観光レポです!
嵐山から嵯峨への移動中に現われた落柿舎
嵐山から嵯峨へ竹林の小径を抜けた後は、このような雰囲気の良い田舎道が続きます。
鹿児島の母の実家もこんな風な田舎道なんですけどね…。どうして京都ってだけで謎の雰囲気が出るのか…。
この雰囲気あるひなびた田舎道を歩いていると、右手の方に気になる藁ぶき屋根の建物が見えてきました。
それが…落柿舎だったわけです!
旅でこういう出会い方をした場所には入らなきゃいけませんね!
入場料も250円!€2程度じゃないですか!(←ヨーロッパ旅行中止…いや延期!の傷がまだ癒えない私)。
落柿舎は俳句の屋敷…いや庵!
落柿舎は京都のガイドブックに小さく掲載されているのですが、立ち寄る予定はなかったので、何も読まず、知識ゼロで入場券を購入した私。
入場券を購入するときに初老の男性スタッフが、丁寧に落柿舎の説明をしてくれました。
落柿舎は俳人松尾芭蕉の弟子の向井去来が住んでいた庵です。去来のことはご存じですね?
す、すみません…知らない件…。
この庵には松尾芭蕉も訪れています。せっかく落柿舎に来てくださったからには、のんびりと一句たしなまれるのがよろしいでしょう。
と、俳句を記すための紙を渡されました…!プ、プレッシャー…!!!
落柿舎の室内は当時の生活を彷彿と…
落柿舎は堅苦しい史跡ではなく、のんびりと旅人を迎えてくれる雰囲気がありました。
松尾芭蕉も旅好きだったように、俳句と旅は相性が良いのかもしれませんね。
田舎のじいちゃんばあちゃん家を彷彿とさせる室内。
芭蕉や去来が生きていた江戸時代後期と、私のじいちゃんばあちゃんが若い頃に生きた昭和初期は、庶民の暮らしはあまり変わらないのかなあ。
そう考えると、昭和後期から平成~令和にかけての庶民の生活の激変ぶりは、すさまじいスピードなのでしょうね。
時代に必死についていくわけでもなく、だからと言って古い時代に意固地にしがみつくでもなく、時の流れとちょうどよい付き合い方をしていきたいなあ…。
落柿舎のお庭は俳人塔などがあり風情よし!
落柿舎の左手奥の方には小さなお庭があります。
苔むしたお庭に、小さな「俳人塔」…著名な俳人や落柿舎の庵主を供養するものとして、本人の俳句を添えた記念碑が立ち並んでいます。
お庭も肩ひじ張らない雰囲気だけど、それでも風情たっぷりにまとまっています。
「豪奢とは違う幸せ」とでも言うか…。日本人が古くから抱く幸福観の、ひとつの形なのだろうなあ。
さていよいよ一句詠みますぞ!
さて…俳句を詠まずに落柿舎を去ることはできません(?)。
私は詩心はまったくなく(詩集など一度も読んだことない)、小学校で「俳句を作ろう!」という授業でも「ヤバイ…何も頭に浮かばない…」状態だった無骨者でありますが、
ここで俳句を詠まなければ、あと15年は俳句を詠む機会はないだろう…。
と、俳句に挑戦してみることにしました!
こ、これはヒドイ…。ただの状況説明!
「落柿舎」という名前の由来は?
さて「落柿舎」という一風変わった名前はどこから来たかというと…
昔この庭には柿の木があり、商人が柿の実を買う約束をして前払いしてあった。しかし一夜のうちに柿が全部落ちてしまい、商人に泣きつかれて去来はお金を返してあげた。
…というエピソードを、去来が書き残しているそうです。
私は落柿舎(らくししゃ)という名前が正確に覚えられず、「おちがきしゃ」とか言ってましたが、それじゃ落武者みたいですね…。
まとめ
落柿舎にふらっと入った感想でした!
落柿舎は嵐山と嵯峨をつなぐ道の途中にあります。
ぜひふらっと立ち寄って、味わい深い庵の縁側に座り、一句詠んでみてください!