今回は、人生4回目の京都旅行。
厳密には5回目なのですが、最初の京都はまだ4歳で「みたらし団子を食べた」ことしか覚えていないため実質4回目です。
小学6年生の時に母に連れて行ってもらった京都旅行で、金閣寺や清水寺よりも心に残ったのが、嵯峨の化野念仏寺(あだしのねんぶつじ)です。
あれからずっと「もう一度行きたいなあ~」と考えていましたが、30年後の今年、ようやく嵯峨に足を運び、化野念仏寺を再訪する機会を持てました!
化野念仏寺は華やかな京都観光とは異質の場所
化野念仏寺は嵯峨エリアの中でも「奥嵯峨」と呼ばれる場所にあります。
私は祇王寺を観光した後に化野念仏寺に向かいました。
祇王寺から化野念仏寺へ向かう緩やかな上り坂は左右に風情ある建物が並び、京都でも抜群に素敵な通りだと感じました。
そのゆるやかな上り坂の左手に階段があり、化野念仏寺の看板が立っています。
ここまで嵐山駅からはずいぶん歩き、観光客はほとんどいなくなり、非常に静かな界隈。
階段を一段一段上るごとに異界へと向かっているような、不思議な気持ちになりました。
階段をしばらく上ると化野念仏寺の入口が見えてきました。
左側の一方通行になっているのは、紅葉の時期など観光客が多い時は混雑するからなのかもしれません。
こんなに静かで異界のような雰囲気が漂う化野念仏寺ですが、拝観料が自動券売機で支払うスタイルなのが、ラーメン屋さんみたいでギャップがありました。
ちなみに境内にはキレイなお手洗いがあります。
西院の河原では無縁仏に思いを馳せる
化野念仏寺といえば、無縁仏を祀る石仏・石塔がずらっと並んだ「西院の河原」でよく知られています。
境内に入ると、すぐに小さな石仏・石塔が立ち並ぶのが目に入りますが、ここはまだ西院の河原ではありません。
ここも西院の河原ではありませんが、庭のあちこちに小さな石仏が置かれています。西院の河原に入りきらなかった無縁仏なのでしょうか。
西院の河原は境内の真ん中にあり、おびただしい数…約8000もの石仏・石塔が集められています。
化野(あだしの)は、古くから風葬の地でした。
徒然草にも「あだし野の露消ゆる時なく…」という一節があります。
葬送の地だった化野には、古くから小さな石仏や石塔がたくさん散在していました。
明治時代に地元の人たちが協力して念仏寺に集めたのだそうです。
石仏や石造の小ささを見るにつけ、祀られているのは著名人ではなく名もなき庶民たち、無縁仏でしょう。
化野念仏寺の西院の河原では、参拝者が自由に線香をあげられるようになっていました。
いつかは無縁仏になる私が、無縁仏に線香を捧げる…私は仏教徒ではないですが、やはり何か深く感じるものがありました。
30年前に化野念仏寺に来た時も、子どもながらやはり同じようなことを考えていた気がするな…。
不思議なもので、だからといってネガティブな気分にはならず、「与えられた時間を思う存分生きよう」となぜだか前向きになれました。
徒然草が言う「世は定めなきこそいみじけれ」に、私はどこか共感できるのかもしれません。
化野念仏寺は水子供養の寺でもあります。
命の中でも特にはかない水子にも寄り添う姿が、化野念仏寺の「ささやかな命」への慈しみを感じます。
西院の河原前には「延命地蔵」があります。
いつか無縁仏となる運命を受け入れつつも、ほんの少しでも長く生きようともがく人間の姿が垣間見えるような気がしました。
竹林の道と六面体地蔵
化野念仏寺のもう一つの名所が竹の小径です。
嵐山の竹林の小径に負けないくらい、美しくて雰囲気のある竹林!
やっぱり奥嵯峨はいいなあ~。嵐山に比べると観光客が少ないそうなのですが、このまま少なくあってほしいなあ…という気もします。
竹林に囲まれた階段の先には、六面体地蔵と墓地があります。
こちらが六面体地蔵。
この六面体地蔵について、説明版がありました。
六体のお地蔵様は六つの世界「六道」でそれぞれ人々を救っていて、罪を洗い流す気持ちを込めてお地蔵様に水をかけてお祈りすればよいのだとか。
聖闘士星矢に「六道輪廻」という技が出てきたなあ…懐かしい!
まとめ
嵯峨にある化野念仏寺を観光した旅行記でした。
30年前に見た時も子ども心にインパクトを受けたお寺でしたが、やはり今回も深く感じるところがありました。
華やかな京都中心部の観光に少し疲れを感じたら、ささやかな無縁仏に手を合わせるために、ぜひ奥嵯峨の化野念仏寺まで足を運んでみてください。