日光東照宮の五重塔は、日光東照宮が完成してから33年後の1650年に、若狭小浜藩主の酒井忠勝によって寄進されました。
五重塔は、東照宮と完成した時期が違うためなのか、東照宮の表門の外にあり、敷地外にぽつんとたたずんでいます。
入場料金も、東照宮とは別料金になります。
五重塔は入場観光する必要がある?
五重塔は日光東照宮の敷地外にあるため、二荒山神社・輪王寺大猷院の方から日光東照宮に向かう道の途中で見えてきます。
また、切符を買って入場しなくても、日光東照宮の参道前からそれなりに近い距離で全体像が見えます。
そのためか、わざわざ入場料金を払って塔を間近で鑑賞する観光客は、それほど多くなかったです。
ですが五重塔の一番の見どころは、四方に3つずつ作られている、十二支の動物像です。
入場しない場合は、参道から見た正面の、寅・卯・辰の3つしか見えません。
十二支すべての彫像を鑑賞したい場合は、切符を購入して入場する必要があります。
個人的には、とても素敵な十二支像だと感じました。入場をおすすめしたいです!
五重塔の十二支彫刻と方角の関係
高校の古文で、十二支と方角の関係を習いますよね。
この五重塔に作られた十二支の彫像は、干支と方角との関係がピッタリ合致しています。
真北にあたる、北の真ん中から子(ねずみ)がスタートし、丑、寅…と時計回りに続きます。
五重塔の正面部分が寅・卯・辰なのは偶然!?
五重塔東側の彫像
日光東照宮の五重塔は、ちょっと不思議なエピソードを持っています。
十二支の方角に忠実に、子、丑、寅…と続けて彫刻が作られていますが、日光東照宮に参拝するために参道を歩く人々から見えるのは東側です。
この東の正面部分は、方角の通り、寅(とら)、卯(うさぎ)、辰(たつ)の彫像が並びます。
実はこの3つの干支は、寅年=初代将軍徳川家康、卯年=二代将軍徳川秀忠、辰年=三代将軍徳川家光と、初代から三代目までの江戸幕府将軍の干支なのです。
しかも将軍になった順番通り、寅→卯→辰と続いています!
それでは四代将軍は…?というと、四代将軍家綱は、なんと、辰の次、巳年(へびどし)なのです!
三代将軍家光は、この干支の順番にこだわり、巳年に世継ぎが生まれるようにしたのではないかという説もあるそうです。
ちなみにこの干支の順番は、四代将軍家綱が夭逝し、直系で将軍を継ぐスタイルが終了したこともあり、四代目で途切れます。
ですが五代将軍綱吉は、「犬公方」という呼び名で知られたように、戌年生まれであることから、犬を保護した政策で知られます。
綱吉の政策の真相については諸説あるようですが、いずれにせよ、徳川将軍は、干支とつながりが深い将軍家だなあ…と感じます。
この五重塔の正面に、三代目までの干支が並んでいるのも、方角の偶然以上の何かを感じてしまいますね。
せっかくなので、他の干支の彫像の写真もどうぞ。
五重塔北側の彫像
北面は、真北が子(ねずみ)となります。右側に干支が続いて丑(うし)、左側には干支のさいご、亥(いのしし)が来ます。
左側の亥(いのしし)
真ん中の子(ねずみ)
右側の丑(うし)
五重塔南側の彫像
巳(へび)
午(うま)
未(ひつじ)。このヒツジさんは、当時の日本ではヒツジを見たことがある人が少なく、ヤギをモデルに作られているそうです。
五重塔西側の彫像
申(さる)。東照宮内の「見ざる、言わざる、聞かざる」の猿と顔がちがいます。
五重塔は、東照宮とは別の時期に作られたんだなあと実感できます。
酉(とり)
戌(いぬ)
東照宮の五重塔は未完成って本当?
日光東照宮の五重塔は、「未完成」と言われることがあります。
ですが、未完成と言うよりは、あえて未完っぽくしているという感じでしょうか。
この五重塔が未完と言われるゆえんは、5層目(一番上)の屋根の裏側だけが、他の4つの屋根とは違う作りになっていることです。
わかるでしょうか?5層目(一番上)だけが、赤い木が放射線状に並べられている!
他は、放射状になっていなくて、建物の外壁に対して、垂直に並んでいます。
これは、徳川家康の「完成したものはその瞬間から崩壊が始まる」という哲学を表していて、あえて完璧でないような作り方をしています。
カッコいいな、家康…。
五重塔の不思議な心柱構造
日光東照宮の五重塔は、非常に特殊な建築構造を持っているそうで、心柱(真ん中の柱)が、何と、吊り下げられて浮いた構造になっています!
建築のことはちんぷんかんぷんの私には、柱が浮いていると言われても、「!?」という反応しかできないのですが、柱が、塔そのものとは分離して作られているため、そのようなことが可能だそうです。
そう言われてもわかるような、わからないような…
なぜわざわざ柱を浮かせているかというと、長―い時間が経過すると、塔は重力に耐えられずに縮むと考えられています。
その際に真ん中に地面から立っている、柱が塔を突き抜けてしまう恐れがあるため、柱を上からつり下げてしまえば、構造上突き抜けることはないとか…。
これもわかるような、わからないような…
いずれにせよ(強引にまとめた!)、このような柱の構造は、免震効果があるそうで、地震の多い日本ならではの工法です。
この心柱の構造は、塔の下をのぞきこんで見学できますが、暗くて遠目ということもあり、建築オンチの私には「よ…よく、わかんない…」という感じでした(笑)。
よ、よく、わかんない…
日光東照宮の五重塔と東京スカイツリーの関係は?
五重塔の心柱構造は、東京スカイツリーの免震システムを作る際のヒントになったそうです。
また、スカイツリーの高さは634メートルですが、この高さが、ちょうどこの五重塔が建てられている場所の標高と、偶然にも同じくらいなのだそうです。
日光東照宮は、江戸幕府の初代将軍家康の霊廟ですが、江戸からちょうど真北に当たる場所に位置します。
この位置関係は偶然ではなく、方角占いの観点から、計算されて作られたと言われています。
江戸時代から東京(江戸)とゆかりの深い日光が、新しい東京のシンボルとつながっているということですね。
スカイツリーにも取り入れられたという心柱ですが、私が足を運んだ時は、塔の内部に見える心柱が特別公開されていました。
心柱だけでなく、塔の中をのぞくことができたのが面白かったです(塔の内部は撮影禁止)。
その記念として、スカイツリーが一緒にプリントされたクリアファイルを配布していました。