プラハの旧市街北には、ユダヤ人地区と呼ばれるエリアがあります。
プラハのユダヤ人は、この地区に隔離される形で住んでいました。
現在でもこの地区には、ユダヤ人にとって祈りの場所であるシナゴーグがいくつか残されていて、観光客が見学することができます。
私は、旧新シナゴーグ以外のシナゴーグを見学できる共通券(350czk)を購入しました。
まず最初に入ったのが、ピンカス・シナゴーグと、旧ユダヤ人墓地です。
ピンカス・シナゴーグは2番目に古いシナゴーグ
ピンカス・シナゴーグはプラハで、旧新シナゴーグに次いで古いシナゴーグです。
建物自体は何回か建て替えられていて、それほど古さは感じません。
ピンカス・シナゴーグは、周囲の道路より少し低い場所にあり、下って中に入ります。
ピンカスというのは、15世紀にこのシナゴーグを作った司祭の名前だそうです。
こちらは柵に施されているダビデの星です。
ピンカス・シナゴーグには犠牲になったユダヤ人の名前が
ピンカス・シナゴーグの壁には、二次大戦でナチスに占領された際に、チェコでナチスの政策の犠牲となったユダヤ人の名前が書きこまれています。
とにかくおびただしい数に圧倒されます。
約8万人の名前が書いてあるそうですが、「8万人」という数字を言われてもピンとこないものです。
こうやって、8万人分の名前を書かれることで、どれほど多くの人が犠牲になったか実感できます。
ピンカス・シナゴーグの外には、当時の写真や記録も展示されています。
もちろん気持ちがよい展示物ではありませんが、しっかり見ておきたいと思い、がんばって見学しました。
これほどの負の歴史を経験しても、「まだ人間は、民族差別から自由になることができないでいるんだなあ…」と感じました。
そしてこれは決して他人事ではなくて、私も心のどこかで自分がかわいくて、自分とは違う何かに属する他者を、疎んじたり、見下したり、邪魔だと感じたりすることがあります。
「差別は人間の本能だ」と諦めるしかないなのか、それとも、「人間はもっと高い次元の社会を作ることができるはず」と希望を持つのか…。
少なくとも私ができることは、自分が他者と向き合う時、その人の属性でなく、その人そのものを見つめようと努めることだろう…と、前向きに考えました。
ピンカス・シナゴーグを訪問してよかった
ピンカス・シナゴーグは、プラハのユダヤ人地区にあるシナゴーグの中でも、訪問者が最も負の歴史を強く感じる場所です。
私はこういった展示で気が沈む方なので、「楽しい旅行中に重たい気持ちになりたくないなあ…」と、訪問するかどうか迷いました。
ですが、やっぱり見学してよかったなと思っています。
旧ユダヤ人墓地を歩く
ピンカス・シナゴーグの敷地は、そのまま旧ユダヤ人墓地につながっています。
おびただしい数の薄い墓石が建ち並んでいます。その向こうにはまるで別世界のように、プラハの町並みが見えています。
「旧」と呼ばれることからわかるように、1787年に廃止された墓地で、最近埋葬された人はいないためか、お墓参りされた感じがある墓石はほとんどありません。
墓石の数は1万以上あり、思っていたより広く、その広さのためもあって、静寂に包まれていました。
墓石がビッシリと重なるかのように立てられている様子は、ユダヤ人たちはこんな風に隔離された地区で、身を寄せ合って暮らしていたのかな…と思わせるものがありました。
華やかな喧騒に彩られたプラハで、こんなに静かな場所もあるんだなと、不思議な感じで歩いた場所でした。