日本の奈良時代の歴史がちょい好きな人間(=私)にとって、あこがれの建築物のひとつは正倉院。
校倉造とかシルクロードの終点とかロマンたっぷり!
しかし正倉院は、奈良観光であまりホットなスポットではありません。明らかに東大寺とか興福寺とか法隆寺とかに押されています。
実際に現地で正倉院を見て「なんで観光客にこんなに注目されないんだろう…」という理由は、大きく2つあるかなと思いました。
正倉院について現地で感じたこういったポイントを、まとめてみました。
大仏殿から正倉院へのアクセス
正倉院は東大寺大仏殿のほぼ真後ろにあります。
正倉院は光明皇后が大仏に聖武天皇の遺品を奉納したことがはじまりなので、大仏の近くに作られたのでしょうね。
で、正倉院は大仏殿のほぼ真後ろにはあるのですが、大仏殿の「すぐ後ろ」ではありません。それなりに歩きます。
というのも、正倉院は大仏殿の北側にあるのですが、大仏殿の出入り口(中門)は南側にあるため、大仏殿を見た後に正倉院に行くには、どうしても遠回りになるんですね。
大仏殿(中門)から正倉院までは500~600mほどあり、徒歩5分程度です。地図で見ると「すぐ後ろ」に見えるんですが…本当に東大寺は広いです。
大仏殿から正倉院を目指すには、基本は大仏殿の後側へと進めばよいのですが、大仏殿の西側(大仏殿を正面に見て左側)から回った方が少しだけ正倉院に近いです。
大仏殿から正倉院へ向かう道は奈良公園内ですが、大仏殿の裏手ということもあってか、びっくりするほど閑散としています。
大仏殿にはあんなにたくさんいた観光客が、ほとんどいなくて静かです。
観光客だけでなく鹿も全然いなくて驚きました。正倉院周辺は鹿の食べ物がないのでしょうか?
正倉院への案内板はいくつもあるので、迷うことはありません。
表示の通りに進んで、結構奥まった場所に正倉院があります。
正倉院見学の観光客はまばら…
さて、正倉院です!校倉造(直線の木組み)が美しく、思ったより大きく、エレガントだと感じました。
しかし…写真を見て頂ければおわかりの通り、誰もいない写真が撮れちゃうんですね。ハイ、観光客がほとんどいません。
こんな素晴らしい国宝を無料で見れるのに…。
「何で観光客が少ないんだろう…」と考えて、思い当たる点はいくつかあります。
まず、近くに行けません。前方から柵の所から見るだけです。
いろいろな角度から見ることができないので、前から見て写真撮って…他にやることがなくなって、ただでさえ少ない観光客の滞在時間が短い感じでした。
それから、警備員にジッと見られて居心地はよくないです。だから皆さん、足早に去ってしまうんじゃないのかな。
「正倉院の中の宝物を盗むとでも…?」なんてことが頭をよぎりましたが、実は財宝は正倉院の中にはありません。近くの新しく作られた倉で保管されています。
空っぽの倉を守る警備員は誰から何を守っているのだろうか…。
もちろん正倉院は歴史的建物ではありますが、それは奈良時代に建てられた他の建築物も同じこと。
なぜ正倉院だけが他の奈良時代の建築物とくらべて過剰に保護されているのかというと…宮内庁管理だからでしょうね。
もともと正倉院は光明皇后が宝物を大仏に奉納したことから始まったわけですから、東大寺の持ち物と考える方が自然なのでは?と思いますが、もとは東大寺が正倉院を管理していたそうです。
明治時代に正倉院が政府管轄となった流れで、現在宮内庁管理であるようですが、明治時代に東大寺の管轄から外れたのは廃仏毀釈の影響があるのか、それとも既に東大寺が管理する力がなかったのか…。
いずれにせよ、正倉院が今でも東大寺の管理下にあったならば、大仏殿や二月堂・三月堂と同じように、正倉院の周囲も多くの人でにぎわっていたことでしょう。
宮内庁管理の歴史スポットは、古墳をはじめとして人々に対して閉ざされていることが多く、世界や日本の共有財産ではなく、「私物」であるという考えが見受けられます。
とはいえ正倉院は現在のようにひっそりとたたずんでいる姿は趣深く、観光客や鹿でワイワイしているスポットになると、違った印象になるのだろうなとも思います。難しいですね!
正倉院の中の宝物は正倉院展で!
正倉院は「正面から遠目で全体の外観を見れるだけ」です。
では、正倉院に収蔵されていたお宝は見れないのか?というと、毎年秋に奈良国立博物館で正倉院展が開催され、正倉院の宝物の一部が公開されます。
正倉院展で公開される宝物は、正倉院が所蔵する約9000点ものの宝物の中で60~70点程度で、お目当ての宝物が見れる確率は結構低いです。
私が高校日本史で必死に覚えた螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ)に正倉院展で出会えるとは限らないのですね。
その年の正倉院で出展される宝物は、正倉院展のホームページで確認できます。