安部文珠院から桜井駅に帰る途中に、「艸墓古墳」という表示があったので立ち寄ってみました。
民家の裏手の方、かなりわかりづらい場所にあったので、アクセス方法をご紹介します。
艸墓古墳は桜井駅から徒歩20分、安部文珠院から徒歩5分
艸墓古墳は桜井駅から安部文珠院まで歩いていく途中にあります。
桜井駅からの距離は2㎞ちょっとで、歩くと20分強です。
安部文珠院からは500mほど離れていて、徒歩で5分程度。
艸墓古墳は民家の中に隠れている!
艸墓古墳は「えっ?こんな場所に入り込んでいいの?」というような、民家の脇を抜けた場所にあります。
桜井駅から行く場合は、駅から南に延びている道を直進し、高校グラウンドの緑色のネットがある交差点まで行きます。
この交差点で右折するのですが…
ここで左側の緩い傾斜の道ではなく、右側の勾配が激しい狭い道を上ります。ちなみに左側の道を行くと安部文珠院があります。
上っていくと、この赤い意味ありげな矢印があります。よく見ると下の緑色の棒の部分に「史跡艸墓古墳」と書かれています。
この赤い矢印の指す方角に何があるかというと…
「えっ?ここ私有地じゃないの?通っていいの?」と、ためらうような細ーい道があります。「いいのかな…?」と思いながらこの道を進んでいくと…
急に艸墓古墳が現れます。まるで秘密スポットみたい!
艸墓古墳は中に入れる!
艸墓古墳には秘密基地みたいな入り口があり…
上の方はこんもりとした丸い丘になっています。ドーム型です。雪国の「かまくら」みたいな形でかわいらしいです。
民家の真ん中にこのようなものがあって自由に出入りできれば…近所の子どもたちはめっちゃ遊ぶだろうなあ…。
日本の古墳は、宮内庁管理だと研究者ですら立ち入れない反面、こんなにも身近な古墳もあるんですよね。
近くには年季の入った説明文があります。艸墓古墳円墳ではなく方墳です。上から見たら丸ではなく四角なんですね。
成立年代は7世紀…古墳時代の終わりごろと推定されています。
埋葬者は不明ですが、このあたりが安部氏の拠点だったことから、安部氏ゆかりの人物では?という説があります。
今回の奈良旅行で感じたのは、古墳は石工の技術で作っているんだよな…石の文化なんだよな、ということ。
古墳が廃れた一因は、仏教の伝来によって、権力を示すためのシンボルが古墳から寺院に変わったことだと言われています。古墳→寺院で、日本は石の文化から木の文化に移行したのでしょうね。
木造建築は高温多湿で地震が多い日本に合っているので、寺院建築が始まらなくてもいつかは木の文化に移行したかもしれませんが、飛鳥に石造建造物が多いのは、日本古代の石の文化の名残なのかなあ…などと考えました。
めっちゃ脱線しましたが、艸墓古墳のハナシに戻ります!
艸墓古墳の内部には家形石棺があります。この石棺が入り口より大きいため、先に石棺を今の場所に置いてから、石室(石棺が置いてある場所)や盛り土など作ったのでは?と言われています。
家形石棺は普通に古墳の中に置かれていて、手が届く位置で見れるのですが…私は恐くて、あんまり奥まで入れませんでした。
石舞台古墳や安部文珠院西古墳の中には普通に入れたんですけどね。艸墓古墳は入り口が小さいので怖気づいてしまったのかも。
まとめ
艸墓古墳について、アクセス方法を中心にまとめました。
桜井市には古墳が多いですが、艸墓古墳、コロコロ山古墳、メスリ山古墳…と変わった名前が多いなあと感じました。
「艸」という漢字、初めて見ましたよ!「くさ」と読むんですね。草かんむりに似ていますね。
桜井市は飛鳥にすごく近いんですが、飛鳥とくらべてあまり観光化されていません。
宿泊施設も少なく、桜井市の見どころを結ぶバスもありません。
安部文珠院はそこそこ飛鳥が近いので、ここから飛鳥にバスで行けるようにするとか、同じ桜井市内の聖林寺や談山神社とのバスルートを結ぶとかすれば、観光しやすくなるのに…。
奈良旅行で桜井市を拠点にできれば、長谷寺や室生寺にも行きやすいんだけどなあ。
…という気持ちがある反面、観光客が増えることのデメリットもあるとは思うので、このままでもいいのかもなあ~とも思います。複雑ですっ。